つべこべ言わずに死ぬ?あと一時間しか生きられなかったら【苫米地式コーチング】 | KASAIコーチの公式サイト

つべこべ言わずに死ぬ?あと一時間しか生きられなかったら【苫米地式コーチング】

周囲の誰かが死ぬ時、そして自分が死ぬ時は、突然訪れます。
死が訪れる時は、いやおうなく、何の議論もありません。
つべこべ言わずに死にします。

そして、現在の延長線上ではない、現状の外側、スコトーマ(心理的盲点)の外側、継続を断ち切るには、毎日死ななければいけません。

私たちは、

  • 自分の保身のために、悩まされます
  • 毎日のマンネリした仕事にうんざりします
  • 家族や友人も、ずっといると思っています

このような精神は、実際、死んでるのと同じです。
つまり、ずっと継続している状態は、ずっと死んでる状態になります。

一方で、毎日死ぬことで、

  • 自分の人生を少しでも意味のあるようにする
  • 仕事・・・つまり、自分の社会における役割をまっとうしようとする
  • 家族や友人に感謝の気持ちで接しようとする

という姿勢に切り替わらざるを得ません。

つべこべ言わずに死ぬ

つまり、死ぬことを怖がるということは、継続を意味します。

  • 死ぬ直前のように完全に一人になることはできません。
  • 自分の保身、エゴ、お金に頭がいっぱいになります。
  • 現状維持が強烈に働きます。

死をできるだけ遠くに置いておこうと思うことによって、心は自己中心的になってしまい、様々なゴミのような情報が精神を曇らせてしまいます。
そうではなくて、つべこべ言わず、否応なしに訪れる死、時間も思考も超越した死を、日常に隣り合わせにすることで、

  • 自分が何をすべきかが分かる
  • ゴールが見つかる
  • 感謝が溢れる
  • 直感が働く

と、何者からも捕らわれずに、自分自身で考えられるようになります。
死をリアルに感じる時に、悩みや寂しさ心配、しがみついている何かといったものが全部消えてくれます。

私が普通の日常で死んだ経験談

今日が最後だと思う。
本当に最後かもしれないのです。
自分が別の道に行くかもしれず、その人との関係が最後かもしれない。
この仕事が最後かもしれない。

ある時、私は、日頃会っている人に対して、感謝の手紙を書いてみました。
これで最後と思って、感謝の言葉を書いてみたんです。
そうして、それをポケットにしまって、日常を送ると、スローモーションのように、物事がゆっくり流れていくように思えました。
最後だと思うと、感謝しか湧いてきませんでした。

継続を憎み、毎日死ぬ。
何も議論せずに、訪れる死はすべてを超越するので、自分を新しく変えてくれます。

もしあと一時間しか生きられなかったら

もしあと一時間しか生きられなかったら、きっと、家族や友達、関係した人たちに、心からの感謝の言葉を伝えると思います。
もしくは、過去に傷つけてしまったかもしれない人に対して、謝罪をするかもしれません。

こうしたことは、まだ人生が終わるまでの間に、どこかでできるはずです。
やってみると、いろんな良いことが起こると思います。